みやびの猫と建物ときどき日記

愛媛県に住む二級建築士兼インテリアコーディネーター、そしてヘリテージマネージャー(歴史的建造物保全活用資格者)です。気になった建物、好きなインテリア、趣味(箏と読書)、そしてうちの5匹の猫たちをご覧いただけたらと思います。

重要文化財 八幡浜市立日土小学校 1 

建築家 松村正恒

1913年愛媛県大洲市生まれ。武蔵高等工科学校(現在の東京都市大学)を卒業したあと、土浦亀城建築設計事務所や農地開発営団に勤務。戦後は故郷の愛媛県にもどり1947年から60年まで八幡浜市役所の職員として学校や病院施設を多く設計。1960年には、文藝春秋誌による日本の建築家の10人として、丹下健三村野藤吾といった建築家と共に選出された。八幡浜市役所を退職したあとは松山市内に個人事務所を開設。「無給建築士」「無休建築士」「無級建築士」などを名乗り、平成5年に80歳で亡くなる直前まで市井の建築士として400もの建物を設計した。

ちょっとした読み物には、村松氏のことがこう書かれてあります。

私の住む愛媛県にこんな人がいたことを知り、とても誇らしい気持ちになりました。それにしても無給で無休で無級って、こんなことさらりと出来る人って大好きです。

日土小学校(ひづちしょうがっこう)

読み仮名をつけたのは「にちど小学校ってどこ?」と聞かれたことがあるからです。地元の八幡浜市民にはひづちと読めても、他の地域の人には読めないことを知りました。

松村正恒モダニズム建築の代表とされる日土小学校は、中校舎が1956年、東校舎が1958年に建てられました。施設の老朽化のため、建て替えの話も持ち上がりましたが、話し合いの末リフォームする道を選び、2007年に保存再生工事に着手し2009年に完了しました。2012年にはワールド・モニュメント財団/ノール モダニズム賞を受賞し、同じく2012年に国の重要文化財に指定されました。

現在日土小学校で学ぶ児童は七十数名です。その児童たちと、この学校を巣立っていった人とたちにとって、それはどれだけ誇らしいことでしょう。

年に3回見学会が行われています

国の重要文化財であっても、ここは普通に授業が行われている学校です。いつでも一般人が入ることはできません。見たいという人のために、春・夏・冬休みの1日だけ校舎を解放して自由に見学ができるようになっています。

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春の見学会に行ってきました

昇降口(くつぬぎ場)

学校につき、靴箱コーナーに入りましたが、とにかく明るいのです。光天井です。

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階段

2階に上がる階段は、1段1段が低く勾配が緩やかです。これなら1年生だって大丈夫。コーナーにはニッチがあり、ちょっとした飾りを置くことができます。

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そして2階につくと、正面は廊下ですが、右にむけて階段がつづき、そこから教室に入るという、廊下と教室を分離した設計に驚かされたのでした。

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2階の廊下

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廊下と教室を分離したことにより、その間に光庭があらわれ、廊下に光を取り込むことでとても明るくなりました。片側はベンチになり、自由に使うことができます。

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(一番奥が、上って来た階段です)

名建築は図面だけでなく、実際に見ることで、設計者の意図を感じることができます。このあと、部屋をめぐりながら圧倒されっぱなしだったのですが、長くなりますので2に続けましょう。

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日土小学校の保存と再生

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ニッポンのモダニズム建築100 (マガジンハウスムック CASA BRUTUS)

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モダニズム建築紀行―日本の戦前期・戦後1940~50年代の建築

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