みやびの猫と建物ときどき日記

愛媛県に住む二級建築士兼インテリアコーディネーター、そしてヘリテージマネージャー(歴史的建造物保全活用資格者)です。気になった建物、好きなインテリア、趣味(箏と読書)、そしてうちの5匹の猫たちをご覧いただけたらと思います。

現金出納係が建築士になりました

家を新築したことが、ちゃんとした会社の現金出納の仕事をやめるきっかけになりました。

もう20年も前のことです。夫と保育園児の子どもとの3人で3LDKのマンションに住んでいました。家賃は80000円。広さは十分でしたが1年だと96万もかかるのです。それでは家を建てたほうがいいんじゃない?という流れになりまして、それではということで住宅展示場を見にいったり、雑誌を読んだり、本を買ったりしました。

その時とても面白かった本が建築家の宮脇檀(みやわきまゆみ)先生の書いた、「それでも建てたい家」とか「住まいとほどよくつきあう」などの文庫本でした。ただ、東京にお住まいの先生に設計を依頼することは費用面で難しいと思ったもので、地元の設計事務所に行ってみようと探し、たまたま家の近くにあった「住まいづくり研究会(今は別の名前になっています)」というところに行ってみたのですが、それが間違いだと気が付いたのはすぐでした。

そこは設計事務所ではなかったのです

建築士かと思っていたチーフと呼ばれる人は無資格。インテリアコーディーネーターかと思っていたスタッフ女性たちも無資格。チーフのお話しは上手だし、勉強になるし、資格さえなくても知識と経験値があればいいと、自分にはっぱをかけてみたものの、どうも雲行きが怪しいのです。

将来に備えて2世帯にしたいとか、吹き抜けが欲しいとか、ピアノも置きたいとか、色々と希望を伝えたものの、提出されるプランは「え?これ?」というもの。何回目かに、2階の子世帯の台所がくねくねと曲がった奥のスペースにあるプランが出たときには「これ、1人でポツンとご飯を作って、お盆に出来たものを乗せて運ぶんですよね?」と確認したほどです。そんな動線は全然楽しくありません。

自分で間取りプランをつくりました

この研究会にまかせては10年かかっても理想のプランは出て来ないと判断した私は、自分でプランを描きました。2×4工法。1階の壁の上に2階壁を乗せる。コーナーには開口部をつくらない。そして宮脇先生の本を読んで得た知識「階段をただの通路にしない」「回遊性のあるプランが面白い」。

1週間ほど散々悩んで出来たプランを設計事務所に持って行き、図面を画いてもらい、それが、現在の家になりました。

転職を決意

当時私がいた会社はパナソニックの販売会社でした。信用も厚い会社でしたから、夫と私との収入の合算で十分なローンを組むこともできました。が、経理事務の現金出納という仕事が段々と面白くなくなってきていた時期でもあり、当時の上司は子どもの小学校の入学式でさえ休みを認めないような人で(口論の末休みましたが)、この上司の下にいるのは嫌だという気持ちが強くなっていました。それで、家が出来たら転職を考え、次は事務ではなく建築系が良いと思ったもので、受験資格がいらなかったインテリアコーディネーターを自力で勉強し、受かることができたのでした。

転機

もしもちゃんとした設計事務所に行っていたら私はプランにもインテリアにも施主として簡単に関わるだけでよく、建築に興味が向くことはなかったかもしれません。

もし、店頭で宮脇檀先生の本に出合わなかったら、ハウスメーカーで建てようとしていたかもしれません。

そして、私がインテリアが好きだと見抜いてアヒルのランプを贈ってくれた短大の後輩たちがいなければ、インテリアに目覚めることもなかったのかもしれません。

転機は偶然でもあり必然でした

高校は商業科、短大は英文科、仕事は経理事務だった私がインテリアコーディネーターになり、ハウスメーカーのリフォームアドバイザーになり、そして建築士になり、ただいまは古民家も勉強中です。

これらの転機に必要だったのは「思い切り」と「やらないで後悔するよりは、やってから次を考えよう」という適当さだったかと思います。そしてたぶん、これからもその精神は変わらないでしょう。

人生、思いついたら、どこからでもスタートができると思っています。

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それでも建てたい家 (新潮文庫)

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住まいとほどよくつきあう (新潮文庫)

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眼を養い手を練れ―宮脇檀住宅設計塾

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男と女の家 (新潮選書)

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